【#八戸 と #はっち と私】

(くみちょのひとりごとです。)
2010年の確か6月。東北新幹線に乗ってはじめて八戸に来ました。

#本八戸駅 の改札を出て左。バスターミナル側が中心街に違いないと勝手に思って歩きはじめましたが、歩いても歩いても街らしきものは無く、、、。
今は無くなってしまった城下のコンビニ(サンクスだったかな?)で、「市役所はどこですか?」と聞いて教えてもらい、来た道をてくてく戻ったことを覚えています。あの道は、その後大変お世話になることになる #デーリー東北 の目の前だったんだな。笑
まさか、あの #本八戸駅前通り が中心街につながるなんて素人には想像できなかったし、そこに今の活動拠点 #まちぐみラボ を借りることになるなんて全く想像もできませんでした。
当時ボクは茨城県石岡市に住んでいて、#筑波大学 の非常勤をしていました。大学で教えることの難しさを感じ、学生たちに助けられてばかりで申し訳ないな〜と思いながら。
そんなとき、はっち開館にあわせて #うわさプロジェクト をやってちょーだいと、仙台でもお世話になっていたディレクターさんからお電話いただきました。
はっち建設でザワザワ状態?ということを聞かされドキドキしながら現地入り。八戸で初の打ち合わせでした。このときの衝撃は、いまも忘れません。
【八戸を好きになって帰ってほしい】
そんな気持ちがビリビリと伝わってくる八戸人の愛情たっぶりの対応に、ボクは初日から八戸の大ファンになってしまいました。
こんなにも自分のまちを愛している人たちがいるのか!と。
このプロジェクトを通してボクは200店舗以上のお店と出会い、1年間で200人を超える知り合いが八戸にできました。
まちを歩いていると、石岡と八戸を行ったり来たりしていたボクに「おかえり〜」「今度はいつまでいるの?」などと声をかけてくださる方がたくさんいました。
ボクにはふるさとがありません。転勤族で幼馴染もいません。
こういうのが【ふるさと】というものなのか。あるいは【地元】というものなのか。
八戸が特別な場所になり、深い愛着を持つようになりました。
プロジェクト終了後もその感覚は消えることなく、ついには移住を実現させようと考えるようになりました。
はっち開館から1年後、たくさんの方たちに助けられながら移住が実現。
移住後は、#南郷アートプロジェクト の皆さんが数年間、八戸での活動の場をつくってくださいました。
同時に #三沢市#ミサワアートプロジェクト や島根、熊本、鹿児島など、八戸に拠点を置きながら他の地域でお仕事をさせていただきました。
中心街でのお仕事から離れて数年後。はっちからお話をいただきました。
住むことで見えて来た何か、を感じていた絶妙なタイミングです。
それは恩返しができる場を作っていただいたような、とてもとてもありがたいお話でした。
2つの企画書をあっという間に書き上げ、その中のひとつが #まちぐみ でした。
スタートしてみると、向かう方向は共有しているはずなのに、うまく噛み合わない。ボクの説明不足が原因でたくさん迷惑をかけてしまいました。
しかし、担当スタッフさんが諦めず寄り添ってくれたお陰もあり、今は分かり合える関係が作られれ、ストレスなく好きなことをやらせてもらったり、言わせてもらったり。気持ちが繋がっていることを感じさせてくれます。
八戸暦はもうすぐ11年。自宅のある南郷暦はもうすぐ9年。
その間、好きなことだけやらせていただいて、家族も仲間も理解者も増えて、ボクはとても幸せです。
でも、八戸に、南郷に、恩返しはできているのだろうか?役に立てているのだろうか?もっとできることがあるのではないか。もっとやるべきことがあるのではないか。
まだまだ足りません。全然できていません。
少しですが、そんなことを考えながら毎日過ごしています。
はっちが無ければ、今ボクはここにいません。
ありがとう、はっち。
ありがとう、八戸。
出会ったすべてのみなさま。ありがとう。
10年を振り返る市民フォーラムもあるようです。
はっちの10年展と合わせてぜひ。

→ まちぐみHPはこちら

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